内容説明
正しいことしか許されない時代に、「誤る」ことの価値を考える。世界を覆う分断と人工知能の幻想を乗り越えるためには、「訂正可能性」に開かれることが必要だ。ウィトゲンシュタインを、ルソーを、ドストエフスキーを、アーレントを新たに読み替え、ビッグデータからこぼれ落ちる「私」の固有性をすくい出す。ベストセラー『観光客の哲学』をさらに先に進める、著者30年の到達点。
目次
【目次】
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第1部 家族と訂正可能性
第1章 家族的なものとその敵
第2章 訂正可能性の共同体
第3章 家族と観光客
第4章 持続する公共性へ
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第2部 一般意志再考
第5章 人工知能民主主義の誕生
第6章 一般意志という謎
第7章 ビッグデータと「私」の問題
第8章 自然と訂正可能性
第9章 対話、結社、民主主義
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おわりに
文献一覧
索引
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ころこ
57
「52歳のぼくから27歳のぼくに宛てた長い手紙」とデビュー作『存在論的、郵便的』に自分自身に応答していると書いている。加えて第2部で落合陽一や成田悠輔を批判するが、それは彼らが10年前に著者が発表した『一般意志2.0』の後半部分と似ており、こちらも自分自身を批判し自分自身に応答することにもなっている。並々ならぬ意気込みの、総括的な位置づけの本という印象を受けた。ウィトゲンシュタイン、クリプキ、ローティ、アーレント、ルソーといった哲学者、思想家のパッチワークで本書は構成されている。そういった本は知識が無いと2023/09/07
ネギっ子gen
55
【哲学とは、過去の哲学を「訂正」する営みの連鎖であり、ぼくたちはそのようにしてしか「正義」】や「真理」や「愛」といった超越的な概念を生きることができない】哲学を新たに読み替え、ビッグデータから零れる「私」を掬い出す書。巻末に、文献一覧と索引。<ぼくたちはつねに誤る。だからそれを正す。そしてまた誤る。その連鎖が生きるということであり、つくるということであり、責任を取るということだ。本書は、そんなおそろしく当たり前の認識を、哲学や思想の言葉でガチガチになってしまったひとに思い出してもらうために書かれた>と。⇒2024/06/30
特盛
31
評価3.8/5。友でも味方でもない、中途半端な存在の価値を論じた「観光客の哲学」の続きが本書だ。 前半:哲学が連帯の基礎になりえない、と著者は言う。だが、哲学から学べることは訂正の歴史だ。 分断が進む世界で、訂正可能で持続する開かれた共同体を構想する。後期ヴィトゲンシュタインやクリプキ、ローティなどを援用しながら展開。規則は遡行的に訂正され、(未来を含む)共同体により決められる、というのが議論のコアだ。(続く2024/12/27
yutaro sata
31
根本的な話がなされているからだと思うが、他のいろいろな本、例えば『共同幻想論』であるとか、今読んでいる『人はみな妄想する』であるとか、鷗外の「かのように」などを意識しながら読んでいた。 家族的なものからは決して逃れられないし、人間が人間である以上人文的なものを、無しには出来ないのだから、その場所でジリジリと粘っていくことが必要だ。2023/10/28
原玉幸子
30
東は、哲学を捏ね繰り回すのではなく分かり易く、又切り口や言葉の置き換えが面白いのが良いと思っていますが、ルソー『新エロイーズ』から「訂正可能性」に誘導する解説には、「あの『孤独な散歩者の夢想』のルソーやろ」との偏見で読んでしまい少し中だるみでした。東が「人文系は過去のアイデアの組合せで思考する」と言い訳っぽく表現しているのが不思議で、過去の哲学者の言説の引用が多過ぎる気がします。「人工知能民主主義」古典発想はもっと短くして、もっと東の切り口で現今の社会世相に言及すればいいのに。惜しい。(◎2023年・冬)2023/12/17