内容説明
島の漁村の古い家を片付けるために訪れた稔は、生きていたころの祖母佐恵子の日記を見つける。「今日ミノル、四時過ぎの船で着く」。そのメモに中学一年の時にひとり祖母を訪ねてきた自分を思い出し、忘れかけていた祖母のことが、稔の胸に強く響いてくるのだった……生き迷う青年の切実な現実を、老いていく時間の流れと照らして綴る。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
散文の詞
127
タイトル通りに、認知症の祖母とその孫がまるで同じ時間軸で四時に向かって進むような話です。 孫の抱えた苦悩と葛藤はなんとなくわかるのですが、問題は、認知症の祖母の混乱がそのまま文章に起こされているようで、これが理解しにくいです。 このまま、あやふやな感じで終止するのだろうかと思っていたら…。 祖母との出来事を思い出すことが、この孫にとってどう影響するのでしょうね。なにかに気がつくのか?そのまま葛藤と苦悩の日々を続けるのか? その先にあるものは何なんでしょうね。 2020/10/06
なゆ
80
古川さんの作品には祖母の使っていた言葉があふれていて、無性に読みたくなる。3冊目にしてやっと吉川家一族の家系図を書いてみて、とても読みやすくなった。「今日ミノル、四時過ぎの船で着く」のメモ。孫の稔を船着き場まで迎えに行こうとする祖母佐恵子のぐるぐる巡る思考と、祖母亡きあとの家の片付けでメモを見つけた稔の現在。年寄りは言いそうだもんな。目の不自由なもう一人の孫(浩)を案じるあまり、「稔は辛抱せろよ」と。その言葉がじわじわと呪縛のようになっていくとも知らず。生き生きとした会話に、懐かしの里で過ごした気分。2021/01/04
井月 奎(いづき けい)
38
三十歳目前の青年、稔を中心に南の小さな島を舞台にした時間を語る物語です。稔は盲目の兄の世話をしながら、そのことをわずかな言い訳として定職に就くことなく過ごし、亡くなった祖母が認知症で生前には稔のことを忘れることも多かったことをぼんやりと思い出します。昔の煩わしさと今の煩わしさ。そう思う自らへの罪悪感を抱きながら淡々と過ごす青年の心の様子の変化は、生きることの道のりの行かねばならないけれども単純ではないことを思わせてくれます。 2021/07/25
いっち
28
長崎の島が舞台の、認知症の祖母と無職の孫の語り。時間軸が異なる。祖母の語りでは「中学1年生の孫」が島に来る。孫の語りでは「30歳手前で無職の孫」が亡くなった祖母の家を片付け、島を出る。島に来る、島を出る船が、「四時過ぎの船」。30歳手前の孫は、盲目の兄を介護する名目で無職。「おれはこれからどうなるんやろう?」と思いながら、何をすることなくだらだら過ごす。兄の介護にわずらわしさを感じることすらある。生きていればわずらわしいことばかり。だが兄の言葉をきっかけに、忘れていた祖母との記憶がつながれ、変わっていく。2020/02/12
mike
18
現実を見ないフリして過ごす日々。他界した祖母のメモから子供の頃の記憶に触れる。ずっぽり抜けた一場面は、現実をみつめ自分の進むべき道に覚悟することで呼び起こされる記憶。わかっていて無意識にフタしてたんだろうな。あー、やぜらしかやぜらしか^ ^ それでも進まんばしょんなかたいね。2020/07/16